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梅百科

梅の歴史

梅の原産地は中国で今から2000年前に書かれた中国最古の薬物学書『神農本草経』には、すでに「梅」の効用が説かれており
 
梅の木は3世紀の終わり頃 日本にもたらされたといわれています。
百済(くだら)の帰化人・王仁(わに)がもたらしたとする説や、欽明天皇(531年即位)
の大和時代に、中国・呉の高僧がもたらしたという説があります。
 
日本の文献に「梅」という文字が最初に現れるのは、日本最初の漢詩集といわれる
『懐風藻(かいふうそう)』(751年)におさめられている、葛野王(かどののおおきみ)
の「春日翫鶯梅」と題する五言詩です。

日本最古の歌集『万葉集』にも、梅を題材とした和歌は多くあります。
たとえば、春されば まづ咲くやどの 梅の花 ひとり見つつや 春日暮らさむ(山上憶良)など、梅を歌った和歌は萩に次いで多く、118首にもなります。
 
このように中国から日本に伝来した梅は、その珍しさもあり多くの人たちに愛されました。梅が重宝されたのは、梅の花の美しさだけではありません。古代から梅の実にさまざまな効能のあることが知られており、そのため人々から広く利用されたのです。

梅干の原形だった梅の塩漬け

梅の実は 奈良時代にはすでに柿・桃・梨・あんずなどと同様に生菓子に加工して食べていた
といわれています。
そして時代を経るに従って梅の効用を体験的に知るようになり、梅の塩漬けを保存食、
食薬品として用いるようになったのでしょう。
 
梅干の原型ともいえる梅の塩漬けが「梅干」として初めて書物に現れるのは平安時代
中期です。

また、村上天皇(在位946〜967年)が疫病にかかったとき、梅干と昆布を入れたお茶を
飲んで回復されたという記録もあり、これが元旦に飲む縁起物として今に受け継がれている
「大福茶」の起源とされています。
この年が申年であったことから、以来、申年の梅干は特別なものとして珍重される
ようになりました。

そのほか、鎌倉時代や室町時代に成立した『伊呂波字類抄(いろはじるいしょう)』や
『運歩色葉集(うんぽいろはしゅう)』といった辞書類にも、梅干が頻繁に登場します。

鎌倉時代の『世俗立要集』という文献には、「梅干ハ僧家ノ肴」と書かれています。
つまり、梅干はお坊さんの酒のさかなとして利用されていたわけです。
この風潮はやがて、武家の食膳にも広がり、武士の出陣の際には、縁起をかついで必ず
梅干を食べたといいます。

兵糧食として大活躍した梅

梅の効用は戦国時代になるとますます威力を発揮するようになります。
兵糧食として用いられた梅干には主として2つの役割があったようです。
 
携帯食としての役割
 梅干は軽くてかさばらず、日もちもよいので、大変重宝されました。
 また、兵士が戦場で思う存分働いても疲れることなく、かつ栄養を補給でき、しかも軽くて
 かさばらない……そんな理想の兵粮食を求めて各藩が熱心に研究した食べ物が「兵糧丸」
 です。
 この兵糧丸にも梅干が使われていました。
 たとえば、「忍術兵糧丸」は、寒ざらしの米、蕎麦粉、かつお節、鰻の白干、梅干の果肉、
 赤松の木肌を混ぜてつくったものです。
 
梅は日本人の心のふるさと。
あの小さな一粒の中に、「大自然の良心」をいっぱい秘め、人々の健康増進に役立ちたいと
願っているようです。「梅者聖也(うめはひじりなり)」なのです。
《参考文献
松本紘斉著『松本紘斉のよく効く梅百科』(家の光協会)
松本紘斉著『やっぱり梅は効く』(主婦の友社)
松本紘斉著『梅の健康法』(主婦の友社)
松本紘斉著『梅の神秘』(文理書院)
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